須須神社
須須神社は日本海側一帯の守護神とされ、第10代祟神天皇の時代に創建された由緒ある神社です。祭神は、寺家高座宮の主神高倉彦神(たかくらひこのかみ)と山伏山山頂の奥宮に祀られている美穂須須美命(みほすすみのみこと)です。須須神社の宝物殿には、国指定重要文化財の木造男神像や、数々の古文書、義経ゆかりの品々が収蔵されています。中でも「蝉折の笛」は義経が海難を救われたお礼として奉納した宝物の一つです。
平時忠卿及び其の一族の墳
壇ノ浦の戦いに敗れ、珠洲の大谷に流されたとされる平時忠。時忠は、大谷で生涯を閉じたとされており、その地には一族のものと伝えられる五輪の塔群などの墳があります。
あえのこと(国指定重要無形民俗文化財)
「あえのこと」とは、能登一帯に伝わる田の神の伝統行事です。
田の神様を自宅に招き、豊作の感謝と願いをこめます。奥能登のあえのことは、国の重要無形文化財に指定され、古式と厳格さをとどめ、きわめて貴重とされています。平成21年9月には、県内最初のユネスコ無形文化遺産に選定されました。
「アエ」は田の神を供応する「饗」、「コト」はハレの行事を意味する「事」で、「饗の事」と考えられています。
珠洲焼
12世紀中葉(平安時代末)から15世紀末(室町時代後期)にかけて、珠洲郡内で生産され、北海道南部から福井県にかけての日本海側に広く流通した、中世日本を代表する焼き物のひとつです。古墳時代から平安時代にかけて焼かれた須恵器の製造技法を受け継いでいます。
丘陵の斜面にトンネル状の窖窯を築き、燃料の量に対して供給する空気を制限する還元炎焼成を行ない、1200度以上の高温で焼き締めます。さらに、火をとめる段階で焚口・煙道を密閉して窯内を酸欠状態にすることで、粘土に含まれる鉄分が黒く発色し、焼きあがった製品は青灰~灰黒色となります。釉薬は使用せず焼成中に降りかかった灰が熔けて自然釉を生じ独特の景色となります。
珠洲焼資料館には、貴重な資料や作品の数々が展示されています。